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いばらきの「子育てな人」

子育てな人@水戸その1 横須賀聡子さん 
♪いっしょに育った、ワタシ♪

 ○ ワタシは、家事と子育ての苦手な専業主婦!○


 結婚して、さあステキな家族をつくるんだ!との決意もむなしく、ルーティーンワークと管理の苦手な私が、いい嫁、いい妻、いい母親になれるわけなどなく、あっという間に問題が山積、無力感と孤独と不安に押しつぶされそうな毎日を過ごすことになった。
 赤ちゃんだった長男が泣けば、私の方が泣きたくなる。
 会話にならない子どもとの毎日、ひらがなしか読まない生活は、社会の中でたった一人だけ取り残されていく自分というイメージしか浮かばない。
 私は、どんどん疎外感を膨らまし、外出先で子どもを気遣ってくれる年長者の一言も、ダメな私への非難に聞こえ、優しい言葉や支援の手にも怯えていたように思う。
 そんなある日、デパートの床に寝転んで泣きわめく我が子に困り果てている私に、今の私くらいの年齢の女性が声を掛けた。
視線が合った瞬間、「また非難される…」と身構える私に、「このくらいの子がいるとママは大変よね」とさりげなく声を掛けて、そのまま通り過ぎていったのだった。
 でも、その一言に何故だか涙がこぼれた。今まで親切に声を掛け、子どもを抱き起してくれたり、子どもをあやしてくれた人たちのように、何かしてくれたわけでもないのに、その出会いに私は救われた。
 きっと、わかってもらえた、という感覚が、辛いのは自分がダメだから、子どもがかわいそうだ、できない私を誰も許してくれない、母親なんだからもっと頑張らなきゃ、と固くなっていた私の心をほどいて、心の中にため込んで行き場を失っていた涙が溢れたのだと思う。


○ 子どもたちの未来は、ワタシたちの社会の中に! ○


  近所の公園で、近くに住む同い年の子どものいる女性に出会った。
  いわゆるママ友というやつができたのだ。
  彼女は、子ども好きで、家事が上手、しっかりとしたお母さんタイプの人に見えた。
  子どもが子育てをしているような私たち親子の危うさに、手を貸さずにはいられなかったのだろう、毎日のようにお茶に誘ってくれ、ときには昼食にも招いてくれて、子どもを預かってくれもした。
  私たち親子は、子どもが幼稚園、小学校、中学校と通う間、彼女を介して、ご近所の子どものいる家族とつながり、たくさんの家族の中で、私も子どもも育ててもらったのだった。
  そのつながりは、子どもたちが大人になった現在でも続いている私の宝物だ。
  私が、(水戸)こどもの劇場という場で、お母さんたちと一緒に子育てをしていきたいと思う理由は、これらの経験からだ。
  私と私の子どもたちが生き延びることができたのは、私たちを支えてくれたたくさんの人に恵まれたからだった。
  だけど、もしかしたら、どんな家族でも、子どもは家庭の中だけでは育たないのかもしれないとも思う。
  たくさんのかかわりの中で泣いたり、笑ったり、怒ったりしながら、子どもも大人も自分を確認し、居場所をつくっているのではないか。
  それならば、私がしてもらったことを次の人たちに返していきたいと思う。
  人がつながり、支え合い、必要なことを創り出し、一緒に育っていける場をつくろう。子どもたちという未来は私たちの社会の中で育っている。


☆横須賀さんが活動している団体「水戸こどもの劇場」のHPはこちらから