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無料メルマガ「オノムの英語の学び方・教え方 vol.15」補足ブログ
英語は絶対に必要なのか?
12月25日に投稿した記事の中でふれた高校生、「英語の授業があると思うと、学校に行くのもいやになって…」といっていたA君が夜の教室に通い始めています。
一緒に見ている生徒もそうなのですが、二人とも‘tree’を‘free’と読んだり‘humidity’を‘human’と間違えたりします。
しかし二人ともとても勘が良く、数学では満点に近い点数を取っているそうです。
今年のセンター試験では、国語が非常に難しく、反対に英語のリスニングは簡単すぎて、ここで点数を稼いでいた生徒が不利になりました。
今の入試制度は平均的に点数が取れる生徒に有利であり、得意、不得意がはっきりしている生徒は不利になりがちです。
誰にでも得意、不得意はあるものです。だからこそ助け合いが必要になるのだとも思います。
これからの社会に求められるのは万能のリーダーではなく、自身の得意と不得意を理解し、自分らしさを上手に発揮できる人。
さらには、それぞれに異なる個性の集まりの中で、互いの良さを認め合える人ではないのでしょうか。
私も大学入試では、国語や社会では満点を取ったと記憶しています。
しかし英語や数学では点数が取れず、ようやく一校だけ補欠で合格できた私大に進学しました。
それでも私は、良い出会いに恵まれて、教師になることができただけよかったと思います。
ですがA君のように英語で大きくつまずいている子を見ると、かつての自分を思い出します。
現在の学校教育、そして入試制度は、このような子ども達の可能性の芽を、伸ばすどころか摘み取ってしまってはいないでしょうか。
こうして考えると、英語なんてできなくてもいいのではないかと思います。
さまざまな場面で、英語が必要となるのは確かです。
しかし企業の中で、会議を英語で行うなどという話を聞いていると、何か勘違いをしてはいないだろうかと思います。
日本で暮らす私達に、英語力は本当に必須なのでしょうか。
英語が、A君のような若者の自信や可能性を削いでしまっている。このような若者が全国にどれだけいるのだろうと考えると、英語をすべての子ども達に強いるようなことはすべきではないとも思えてきます。
中学や高校では、全員に英語にふれる機会を与えるにしても、入学試験の方法については見直すべき点があるのではないでしょうか。
少なくとも教師は、指導方法を根本から見直す必要があるのではないかと思います。